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仁寺洞・鍾路

古きよき時代の韓国がうかがえる、伝統の街、鍾路(チョンノ)、仁寺洞(インサドン) 。

李氏朝鮮が漢陽(現在のソウル)を首都としてから、現在まで変わることのないソウルの中心地。両班(ヤンバン=昔の高級仕官)が住んでいたところでもあり、彼らの足跡が今でも何の傷もなく残っているところ。

仁寺洞
仁寺洞レポート

600年の歴史が詰まった仁寺洞(インサドン)は、芸術の街としても有名ですよね。ここで昔ながらの韓国の雰囲気を味わってみることも、ぜひお勧めします。

仁寺洞ギル(インサドン ギル)と言う500メートルほどのメインストリートの両側に画廊や骨董品、韓国伝統工芸を扱うお店がずらりと並び、それに加えて外国観光客のためのお土産屋もたくさんあります。

また、一歩路地に入ると庭のある伝統茶店があったり、伝統飲み屋があったり、建物自体も昔ながらの韓国家屋が、朝鮮時代を感じさせ、ソウルのど真ん中にいると言うことを忘れさせてくれます。

陶磁器、韓紙、韓服などの伝統工芸品は、懐かしい感じがする一方、最近では伝統素材を使ったモダンなデザインの小物も登場し、新鮮な印象を与えてくれる不思議な雰囲気に溢れています。


鍾路
 

ソウルの中心、鍾路(チョンノ)は明洞(ミョンドン)に負けないくらい、若者がたくさんいる街。

この鍾路を語るときにちょっとだけ知っておかないといけないのが、韓国の歴史!
19世紀末、欧米列強からアジアを守るという名目で始まった日本の侵略戦争期間中、韓国を植民地支配したことがあ る。この1910年(明治43年)から1945年(昭和20年)までの植民地時代を「日本植民地時代」と呼んでいる。

この時代、韓国、日本両国において、韓国人に対する迫害、虐殺が行われていき、韓国語使用禁止、韓国姓名の禁止など多くの規制もされていった。一方、その期間に日本から近代文化が入ってきたのも事実である。


この鍾路、その植民地時代当時は日本人街であった。


その名残が今でもあるのか、そのまま使われている日本語も多くて面白い。例えば『おでん』『うどん』『わさび』『たくわん』『満タン』『楊枝』『弁当』などなど。
また、1919年3月1日、日帝支配から独立するために行われた3.1独立運動の中心舞台となったタプコル(塔洞)公園も鍾路にある。

この鍾路、植民地時代以前は朝鮮王朝が公的に作った巨大市場でもあ った。

商売をするにも特別な許可証が必要で、その許可自体が特権に近いものであ った。
歩いてみれば分かると思うのだが、東に辿っていけば東大門につながり、南に辿れば南大門につきあたる。
その結果、東大門と南大門に大きな市場が形成されたと聞けば納得できるだろう。

つまり鍾路がなければ、今の東大門市場も南大門市場も存在しなかったということになる。
それほど、重要なポイントがこの鍾路なのである。おわかりいただけたであろうか?

その当時の姿がそのままに、また形を変えて今の鍾路を作りだしていった。

『鍾路』はもともとは『鐘楼(チョンル)』と呼ばれていたが、その後『鐘路』となり現在の『鍾路』となった。そう、この鐘路が鍾路である所以がこの『鐘』なのである。

朝鮮時代、東大門、南大門を初めとする『門』は夜から明け方まで閉じられ出入りが許されず、その開閉を鐘で知らせた。
その鐘が現在、普信閣(ポシンガッ)にあるものだ。韓国で2番目に大きな鐘で宝物(国宝と重要文化財の中間にあたる)第2号にも指定されている由緒正しきものなのだ。
鍾路といえば、この『普信閣の鐘』といわれるほどのシンボルマーク的存在なのである。

南大門、東大門などが台頭する中、忘れ去られがちになるが、ソウルを語るとき決して忘れてはいけないエリア。
『常に、ソウルの新しい歴史を作ってきた街』、そんな言葉が鍾路にふさわしい。



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